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鎌倉時代の奈良仏師(10)南都仏師康俊
 文殊菩薩坐像

鎌倉国宝館長・半蔵門ミュージアム館長 山本勉

Source: Nikkei Online, 2023年8月9日 2:00

奈良国立博物館提供

康俊(こうしゅん)という名の有名な仏師は仏像史上に2人いる。くしくも鎌倉と南北朝の時代の変わり目に1人目が姿を消し、2人目があらわれた。ここでとりあげるのは、鎌倉時代の第一の康俊だ。銘に「南都大仏師」「南都興福寺大仏師」などと名のるところから南都仏師康俊と呼ぶ。いま確認されているところでは、正和4年(1315年)の像をはじめ、複数の作品を残し、鎌倉時代最末期に活動を終えた。

ある寺の記録では、彼は奈良の高天(たかま)に仏所をかまえた高天仏師であるとされ、また室町時代に高天仏師が自分たちの先祖は鎌倉時代の善円(善慶)だと主張する史料もある。つまり康俊は善派と室町時代の高天仏所をつなぐ存在である。「南都大仏師」「南都興福寺大仏師」の称号は、奈良仏師本流の自負を示すのだろう。

奈良・般若寺本尊の文殊菩薩像は、善慶・善春父子が造った本尊が焼けたあと、寺内の経蔵から迎えられた像で、元亨4年(1324年)に康俊が子息康成(こうじょう)とともに造った精緻な作である。発願者は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇の護持僧文観房殊音(もんかんぼうしゅおん)。奈良仏師もやがて時代の変わり目の動乱に巻き込まれてゆくのである。(1324年、木造、素地・切金、像高45.5センチ、般若寺蔵)